『自分で出来る』って本来は『楽しい』こと!2歳の娘が教えてくれた本来の知育の考えかた

自分で「出来ること」が増えるって楽しいことだって思いますか?

僕は自分自身で出来ることが増えることは必ずしも楽しいものだとは思っていませんでした。

だって出来ることが増えると、やらなきゃいけないことも増えるじゃあないですか?

 

小学生の頃を思い返してみてください。

漢字が書けるようになったら、漢字ドリルの宿題を出され、

算数ができるようになったら、計算ドリルの宿題も出されます。

しかも、出来るようになったかどうかを定期的なテストで試されるという始末!

 

出来るようになるって、面倒なんだって思ってました!

 

しかし、その考えが覆る出来事があったのです…!

出来るようになるってことは、本当は楽しい!!

『自分で出来る』って本来は『楽しい』こと!2歳の娘が教えてくれた出来るようになったことの素晴らしさ!

学校に通っていた頃も、サラリーマンをしている今も感じることですが、

出来るようになると面倒なことも同時に増えて嫌だなーって思ってました。

 

しかし、階段を登れるようになって、ニコニコと楽しそうな娘をみていたら、

出来るようになるって素晴らしいことだなって思えるようになったんですよ!

2歳の娘と山寺(立石寺)に行ったら1000段の階段を自分で登りまくる!

出来ることが増える素晴らしさを体感したのは山寺でのこと。

山形市にある山寺は悪縁切りのご利益があるらしいとの噂を聞きつけ、娘が病気と縁がないようお参りしようと思い、家族で山寺に登ろうと思い立ったのであります。

 

せっかく娘と一緒に行くなら絶対に頂上まで登りたい!

しかし、頂上までの石段は全部で1015段!

2歳の娘、約10キロを抱きながら1000段も登るのか…。これはツラい…。

 

しかし、娘へのご利益のためなら仕方ない!

ということで、全身筋肉痛を覚悟で1000段の石段を登り始めました。

最初は抱っこをせがむと思っていた

うちの娘に限らないと思いますが、子供って結構すぐに「抱っこ」をせがみますよね。

 

1000段の石段も、序盤だけ自分で登ってすぐに疲れるだろう。

疲れたらすぐに抱っこをせがみ、自分で登らせようとしても登らないんだろうなぁって思っていました。

 

しかし、実際には全くの逆でした。真逆です。

抱っこをすると怒りを露わにするという結果に…!

なんということでしょう、2歳になったばかりの娘がズンズンと階段をニコニコしながら登っていきます。

 

手こそ繋いではいるものの、自分の足で石段を蹴り、身体を頂上へ向けて運んでいくのです。

石段のぼるの疲れたかなと思い、「抱っこする?」って聞いても「イヤ!」と強めに言われます。

 

1000段もある石段の途中では道が狭くなっているところがあり、流石に手をつなくだけでは危ないと思い、娘を抱いて階段を登ろうとしました。

 

そしたら、抱いた途端にジタバタしながら怒るのです。

「人の楽しみを取るんじゃねぇ」

そういう目で僕のことを睨んでいました。

自分で出来るようになるって本当は楽しいこと!

結局娘は最後まで抱っこをせがむことなく、頂上まで登りきりました。

2歳の娘が自分で階段を登っている様子を見て、色んな人から「頑張れー!」と応援をいただきながらの登頂!声援をいただきながら登るその様はまるでマラソンランナーのようでした。

 

一番上まで登り切った娘の表情は満面の笑み!

「父ちゃん、階段登るのって楽しいね!」まだ言葉が喋れない娘だけど、そんな風に言っているかのような笑顔は満足そのもの。

 

そうだよね、大人と同じことが出来るようになってるんだもん。

いままで一人で出来なかったことが出来るようになったんだもん。

そりゃあ出来ないことが出来るようになったんだから嬉しいよね!

大人になると出来ることの嬉しさは忘れてしまう

自分の娘は階段を登るだけでもこんなに楽しそうにしているけど、自分自身のことを思い返してみると、最近は何かが出来て楽しいという感情があまりないように思います。

 

多分それは出来ることが当たり前になったり、新しいことを覚えようとしていないせい。

出来ることを、繰り返しやっているだけだから、『出来ない→出来る』の楽しさはとうに忘れてしまっていたのかもしれません。

こどもに比べてチャレンジが少な過ぎるのが「大人の停滞感」の原因

本来なら過酷で辛い1000段の石段を、こどもが楽しそうに登るのを見ていると、自分は出来ないことへの挑戦が全然足りないんだなって感じます。

 

最近の娘は出来るようになることがとても楽しいみたいで、色の名前を覚えたりすると、

「あか!あか!あかぁ!!」

と、ひたすら部屋の中にある赤いものを見つけては指をさすという遊びを行なっています。

 

いままでわからなかったことを理解できたことが嬉しいんでしょうね。

そういう嬉しそうな娘の姿を見ていて嬉しい反面、自分の停滞感にはがっかりします。

自分は新しい何かに全然タッチできていないことを、強烈に実感。

 

こどもを見習って新しいことを身につけようと決意!まだまだ娘に負けるわけにはいかんのです!

子供の出来た瞬間を一緒に喜べることが知育なのかもしれない…!

山寺の1000段もの石段を楽しそうに登り切ったわが娘。

石段を登り切った時の満面の笑みを見ていたら、本来の知育ってこういうことなんだと思います。

 

こどもが何かを出来るようになった喜びを一緒に分かち合えることが知育なんだってことです。

どんな知育玩具も、どんな絵本も、こどもが楽しいと思えないようなら無意味に等しいのかもしれません。

楽しいと思えなかったら覚えないし、興味が湧くはずがないですよね!

 

こどもが何かを出来たことで感じる嬉しさを一緒に共感できる場面が多くなるように、親子でどんどん新しいことにチャレンジしていこうと思います。

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