こてつ
鬼滅の刃の岩柱の「悲鳴嶼 行冥」っていつも「南無阿弥陀仏」を唱えているけど、悲鳴嶼 行冥って仏教のどこの宗派なんだろう?
鬼滅の刃の作中で岩柱:悲鳴嶼 行冥は「南無阿弥陀仏」ととなえていたり、弟子である不死川玄弥が「阿弥陀経」をとなえて集中力を上げていたりします。
これはもしかしたら悲鳴嶼さんの宗派が特定出来るのではないか?南無阿弥陀をとなえ続けている意味がわかるのではないかと思い、悲鳴嶼さんの宗派について調べてみました!
悲鳴嶼さんは浄土系か天台宗の宗派か?
岩柱である悲鳴嶼さんはいつも「南無阿弥陀仏」を唱えていますよね。
いつも唱えているどころか羽織にも南無阿弥陀仏という文字を入れているほど「南無阿弥陀仏」を強く意識しています。
この南無阿弥陀仏と唱える宗派を調べてみると浄土系(浄土宗、浄土真宗、時宗、融通念仏宗)と天台宗などがあるようです。
さらに浄土宗のホームページを見てみると以下のような記述がありました。
法然上人は、どこにいても、なにをしていても南無阿弥陀仏をとなえよ、とすすめておられます。南無阿弥陀仏と口にとなえて仕事をしなさい、その仏の 御名のなかに生活しなさい、と教えられています。
浄土宗ホームページより引用
どこにいても、何をしていても「南無阿弥陀仏」をとなえよ。
浄土宗ではそのような教えがあるようなので、どこにいても何をしていても「南無阿弥陀仏」をとなえている悲鳴嶼さんは浄土宗の影響が強いのかもしれません。
「南無阿弥陀仏」ってどんな意味なの?
お坊さんでもなんでもない私が「南無阿弥陀仏」を解説するには非常に難しいというか、理解できませんでした。
わかったことといえば、阿弥陀様が人々を幸せにするために考えられたのが「南無阿弥陀仏」であること。
おそらく、鬼から受ける恐怖を滅し、人々を幸せに導きたいという思い。
また自らの過去の苦しみから脱するためにも「南無阿弥陀」をとなえているのではないかと推察します。
こてつ
悲鳴嶼さんはお坊さんなのかもしれない
ファンブック内の大正コソコソ話に「尺八はお坊さん仲間に教えてもらいました」との記載があります。
お坊さん仲間ということは悲鳴嶼さん自身もお坊さんであることを表しているように思えますが、お坊さんとしての具体的な描写がないので詳細は不明です。
もしかしたら盲目であることとお寺に住んでいることには何かしらの関わりがあるのかもしれませんね。
岩柱ファンは「南無阿弥陀」を調べ上げてみると面白いかも!
結局、岩柱の宗派は特定には至らず、「南無阿弥陀仏」の意味もわかりませんでした。
しかし、仏教の宗派について調べてみたり、「南無阿弥陀」の意味を調べているといろんな言葉が出てきて面白いところもあります。
例えば苦しみの根源とされている「無明の闇」や、有る苦しみと無い苦しみを表している「有無同然」などの仏教用語を知ることができるのは何気に面白い!
仏教用語を調べているとなんとなく鬼滅の作者は仏教について詳しいのかもと、感じる部分も出てきますし、仏教用語について調べてみると悲鳴嶼さんの発言などについて深読みできて面白さが倍増するかもしれません!
岩柱ファンは仏教について調べてみるとより作品を楽しめるかもしれませんので、まずは「南無阿弥陀」の解釈を調べることをオススメします!
こてつ
「南無阿弥陀」は阿弥陀如来にすべてを委ねて極楽浄土に連れてってもらおうというような感じ。
ちなみに作中で唱えているのは仏説阿弥陀経だよ。